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インタビュー「CGデザイナーになるまで」【8K文化財プロジェクトの制作現場:スピンオフvol.01】

BASSDRUM

この記事は、【8K文化財プロジェクトの制作現場:前篇・後編】のスピンオフです。本編は以下のリンクからお読みいただけます。

文化財を3D空間上に再現するという取り組みが行われています。撮影・計測したデータから3Dメッシュを作成し、テクスチャーを作成。コンテンツとして実装します。この作業の主要部分を担っているのは、一人のCGデザイナーです。成田修一。株式会社アフタイメージ 代表取締役。「ストーリーのあるものが好きだった」という彼が、文化財の3DCGデザインを担うようになるまで、どのような変遷があったのでしょうか。アフタイメージ社の高嶋さんと共に、バックグラウンドから実作業での苦労まで、たっぷりと語ってもらった長編インタビュー。

ストーリーのあるものが好きだった


— 成田さんは、最初はテレビ番組の制作に携わっていたんですね。

成田さん 僕が学生の頃はまだ、CGがエンターテイメントに使われるような時代じゃなかったんです。だから、美術短大ではエディトリアルを専攻しました。もともと、雑誌とか本とか、そういう、ストーリーのあるものが好き。当時は、そういう道に進もうか、どうしようか、悩んでいましたね。

そんななかで、学園祭の運営に関して、テレビ局の人々に取材に来てもらったことがありました。そうしたら、レポーターの人がめちゃくちゃ可愛かったんですよ。

成田修一さん

高嶋さん そこ(笑)。

高嶋一成さん

— なるほど(笑)。

成田さん それで、「こっちの道に進めば、そういう人がいっぱいいるのかな」という、よこしまな気持ちで制作会社に申し込んだんです。
テレビの制作会社って、ADから始めるので、審査は基本的に無いようなものなんですよ。面接はあるものの「大変だよ」「はい」みたいな。結局、ダメなやつは振り落とされていくので。だから、就職活動らしい活動はほとんどしなかった。

— 入ってから、ふるいにかけられるんですね。

成田さん そうなんです。
それで、制作会社に入社して2年目ぐらいから簡単なパートを作らせてもらえるようになりました。5分ぐらいの短いものからスタートしました。制作会社なので、いろんなことをやるんですよね。ドラマ、スタジオ、報道、バラエティ。そういうものを一通り経験したことが、今も役に立っているのかなという気がします。

ただ、テレビの仕事って、クリエイティブな部分は少ないんです。どちらかというと、「段取り屋」の側面が強い。構成作家とプロデューサーの意向に沿って取材をして、それをまとめる。当時はCGも無かったので、編集をするにも、ドラマなんかと違って、「あるものを選んでつなげる」という感じです。それに、ナレーションをつけて、音楽をつけて。そういう世界なので、メインは「いかに事前に準備するか」なんです。お弁当とかね。

— お弁当!

成田さん ね。技術者としてというより、段取りの部分ですべてが決まっちゃう世界だった。自分が学んできたデザインとか、そういうものがあまり活かせないなあと感じるようになりました。

CGの経験ゼロだったけど「できます」

成田さん そんなとき、『ジュラシック・パーク』が上映されたんです。衝撃でした。CGがあれば、自分の好きなようにカメラを動かせるし、自分の好きなキャラクターを自由に動かすことができるんだ、と。

それで、片っ端から知り合いを当たってみたら、東京放送のCG部でたまたま空きがあった。僕はCGの経験なんてまったく無かったのですが、「できます」って言って。

できないのに「できます」と……

— 嘘をついて(笑)。

成田さん だから、CG部に入った時は、「なんで素人が来たんだ!?」みたいな感じで。それから1ヵ月ぐらい頑張って、覚えて。番組のタイトルとか作らせてもらえるようになりました。

— 1ヵ月で!?

成田さん ゼロから1ヵ月でそこまで。当時のCGというのは、わりと単純だったんです。ロゴを立体化して、それをアニメーションさせて、という。アニメーションって、もちろん訓練で鍛えられる部分もあるんですが、リズム感やセンスが左右する要素も大きいと思います。そういう意味では、最初からイメージがあったので、アニメーションが得意なタイプなんだと思います。

— それにしても1ヵ月でそこまでというのは、努力の要素もあったのでは?

成田さん 昔から、2Dよりは立体の方に興味があったので、「CG空間の中で立体的にキャラクターを動かせる」ということが、とにかく面白かったんですよね。だから、本来ならば就業規則に則って、業務時間のなかでやらなきゃいけないものを、一人で徹夜して、凝ったものを作り続けていたんです。そうしたらディレクターからの受けが良くなっていって。

— なるほど、昼夜を問わず熱中して作業していたんですね。

成田さん でもそんなことをしている人が部内にいたら、ほかの人たちは困るんですよね。「同じ時間で作業しているのに、なんでこんなにクオリティが違うんだろう」と。実は、ぜんぜん同じ時間では無かったのですが。

— そういうことで、やっかまれたり?

成田さん そうですね。僕は、早く納品するとみんなが幸せになると思ってたんです。でも、なかには、早く納品すると「この時間で作れるんだ」と思われちゃうから、そういうことをしないでくれ、というスタッフもいて。組織のなかでCGを作るっていうのはそういう制約があるんだな、と。それで、CG部に4、5年勤めてからフリーランスになったんです。

「起業したほうがいいかな」

— もともと集中力が途切れずに続くタイプなんですか?

成田さん 興味があることは、ずっとやっていられる。僕が若い頃って、まだ今のような「ホワイト企業」とか「ブラック企業」という感覚が無かったんですよ。だから、「なんでみんな俺のように働かないんだ!」みたいなマインドだった時期でもあった(笑)。

だから僕がフリーランスで入ったプロジェクトは、「成田さんと一緒に修行するつもりでやらないと……」と言われてしまうような感じでした。でも、プロダクションにしてみれば、決まった値段でそこまでやってくれる、ということで、重宝されてはいました。

— フリーランスになってからは、CGクリエイターとしてどんなものを作っていたんですか?

成田さん 主には、シネマティックと呼ばれるもの。ゲームのオープニングですごく綺麗な映像が流れる、ああいうものを作る仕事が多かったですね。

— 独立してから、働き方は変わりましたか?

成田さん やっぱり、フリーランスになってからの方が、がむしゃらにやっていましたね。自分のギャラを上げるためには、成果を出すためには、人一倍働かなきゃいけない、という心構えでやっていた。責任を持って納品をしていたので、仕事は途切れることなくありました。

ただ、やっぱり……5年、6年、と続けていると、体に響いてくるんです。「50代、60代になって、この働き方を続けていくのは無理だな」と思ったので、「起業した方がいいかな」と。

— それが起業のきっかけだったんですね

成田さん そうですね。長い目で見たときに、変えていこうと思いました。

成田修一さん(左)、高嶋一成さん(右)

vol.02へ続く

インタビュー:岡田麻沙

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