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NFTと愛

今回、この特集で記事を書くにあたり、人がどんな気分で「NFTアート」と呼ばれるものを購入するのか、というモチベーションが全然理解できていなかった。

一応こういう仕事だし新しもの好きではあるので、NFTプラットフォームでNFTを発行してみたことなどはある。しかし、アーティストの皆様など、他の人が発行したNFTを所有したことは無かったし、正直なところ所有する気にもならなかった。仕事の現場では散々NFTという言葉が登場したが、いまいち、それに付随する人の心の動きを理解しきれていなかった。

もちろん、投機的にめっちゃ盛り上がっていたという話は理解できる。NFT買ったらめっちゃ値上がりして数倍で売れた、とか、ウン十億円の値が付いた、みたいな話は知っているし、それはそうなったらそれをきっかけに購入する人はいるだろうし、その点は理解できる。

日本の昭和末期〜平成初期のバブルの頃というのはまさしくそういう状態で、日本中の土地がどんどん値上がりしてどんどん売れる状態であったがゆえに、多くの人は、投機的な理由のみで土地を買った。つまり、土地が欲しいから買っていたわけではなくて、それが値上がりして売れるから土地を買ったのだ。当時、「なぜ土地を買うのか?」とか「なんで土地が必要なのか?」みたいなそもそもの動機はよくわからなくなっていたし、どうでもよくなっていたかと思う。

普通に考えると、「建物を建てて住む」「お店作って商売する」「作物を育てる」などなど、土地をどう活用しようか、という動機があって土地が買われるわけだが、そうじゃなくなっていた、ということだ。

2017年なのか、NFTの登場以来、一気にNFT周辺はバブル化し、投機一色になったのだと、客観的に見て思う。「そんなことないよ」と言う筋もあるかもしれないが、いや、NFTで盛り上がっていた人たちの99%は金の話ばかりしていたと思うし、昨年の暴落以降、そういう人たちは一斉に静かになったようにも思う。

NFTの歴史は、最初からずっとバブルで、ゆえに、「なぜNFTを買うのか?」「なんでNFTが必要なのか?」は、二の次にされてきたように見える。

今回、記事の準備をする中で、この「NFTにまつわるモチベーション」を理解したくて、いろんな方々にお話を聞いた。基本となる仕組みも理解していたつもりではあったが、改めて自分でスマートコントラクトを実装してNFTを発行してみたりもした。

もちろん、NFTとその関連技術は、最終的にはコンテンツ配信をプラットフォームの管理下から開放したり、メディアの制約なくつくり手がコンテンツを直売できるような未来につながっていると思うし、その点においては、そもそも画期的なイノベーションにつながる技術だとは思っている。しかし、「いま現在のNFT」のモチベーションってなんなのか。

今回お話をお伺いした有識者の一人(その方は自分の作品もNFTとして流通させている)が、自分が所有しているNFTの一覧画面を見せてくれた。そのとき、「あー。これは、キーホルダーみたいなものか。」と理解した。

私は、自宅の鍵やカバンに、ジャラジャラといろんなキーホルダーをつけている人間だ。何かのイベントや旅先で、「いいなー」と思ったアクセサリをキーホルダーとして鍵やカバンにくっつけて常に持ち歩いている。別にそれをそんなに人に見せたいわけではないが、なんか、そうすることによって、好きなものと一緒に行動している感じを得ているのかもしれない。それによってなんかちょっと幸せになるのだ。

もっと言えば、結婚指輪なんかも意味合いとして近いかもしれない。そんなに人に見せたいわけではないが、妻や家族との人間関係の証を「身につけている」感覚というのがある。

ここで、私が身につけているキーホルダーやアクセサリーを紹介したいと思う。NFTを所有している方からそのモチベーションの「ノリ」をお聞きして、私がこれらのキーホルダーを身に着けていることと感覚が非常に近いと感じたがゆえに、私のキーボルダーをご覧頂くことを通して、もしかしたら、NFTホルダーがいろんなNFTを所有している動機みたいなものを理解して頂けるのかもしれない。

①アイヌのお守り
もともとアイヌの意匠が大好きなので身につけているが、自分のキャラ的にミサンガという柄ではないのでカバンにくくりつけている。

②外無双
私は中学生時代からの大相撲ファンだ。このキーホルダーはこないだ国技館で売ってた「珍しい決まり手ガチャ」でゲットした。

③サウナしきじ
「サウナーの聖地」と言えば静岡のサウナしきじ。このキーホルダーを身に着けていると、富士の天然水の水風呂に包まれているような気分にならないでもない。

④チーピン
麻雀は下手だが、麻雀牌のデザインは大好き。中でも、チーピンのレイアウトのかっこよさは昔から好きなので身につけている。

⑤照ノ富士
昨年の「大相撲ファン感謝祭」で買った。先日は照ノ富士の結婚披露宴にもどさくさに紛れて出席してしまったほどの照ノ富士推しである私。横綱の不動心を私も身につけたい。

⑥サウナ
LEDが入っていて光る。忙しくてサウナに行けないとき、これを眺めてどうにかする。

⑦神戸サウナのタグ
昨年、神戸サウナのフィンランドサウナがリニューアルした際のクラウドファンディングでもらったもの。

⑧AirTag
さしづめ、特殊なコントラクトが仕込まれているNFTとでも言うべきか。鍵を失くしても追跡できるApple製品。

⑨横浜銀行のワンタイムパスワード発行用のウィジェット
今はもう使っていないが、BASSDRUMの創業当時の一番大変だった頃に銀行振込で使っていた銀行用デバイス。あの頃の気持ちを忘れないために身に着けている。

⑩ニューヨークのCitibikeのカギ
これはまあ、カギだ。このカギがあるとニューヨークの公共自転車であるCitibikeに乗れる(年契約しとかないとすごい高い)。

⑪五円玉
妻と知り合った頃に、妻とご縁があることを祈って交換した5円玉。

これらの1つ1つが、なんというか自分にとっては愛おしい存在であり、愛おしい存在の象徴ではある。そして、自分を形作っているものたちがここに凝縮して集まっているような感じすらする。

私は、言ってみれば、「自分が自分の好きなものにコミットしている証」としてこれらのものを身につけているのかもしれない。誰かが「NFTは【推し活】に近い」とも言っていた。推し活という概念もまたいろいろ考察できる概念なのでここでは踏み込まないが、投機やカネにまみれて、登場段階からして実態がよくわからなくなりつつあったNFTも、実は皮を剥いていくと、真ん中には「愛」があるんじゃなかろうか。

だとすると、儲かるとか暴落とかそういうのは良いから、好きな人の好きな作品のNFTを屈託なく持ってみる。そうすれば、しみじみと好きなものがそばにいる幸せが感じられてしまうのかもしれない。

NFTやブロックチェーンの周辺には、非中央集権だとか、脱プラットフォームだとか、いろいろ難しい概念が漂っていて、それそのものは有意義な考え方だとは思いつつ、人がNFTを持つ理由なんて、もっともっと単純に、「好き」ということで良いんじゃないか。


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