「state」を始めて半年経ちました
ヒエラルキーが全くないソーシャルネットワークサービス「state」をサービスインしてから、半年以上が経ちました。サービスインした際に書かせて頂いた、サービスの内容や基盤にしている考え方はこちらです。
簡単に表現すると、旧Twitterがなかなかに過ごしづらい場所になってしまった中、代替として提案されたThreadsにしてもBlueskyにしても、今の旧Twitterその他のソーシャルメディアのつらさを構造的に根本的に解決するものになっていないよね、ということを思っていたけど、自分はつくり手で、こういうサービスをつくるスキルはあるわけだし文句を言うのではなくて、自分でちゃんとつくって運用して、世の中に提案するぞ、というのがこの「state」というサービスです。「私はこういうソーシャルネットワークサービスが良いと思うんですよ」ということです。そういうものをほぼ一人でつくってサービスインしました。
サービスインして上の記事を公開して以来、オープンなサービスではないにも関わらずとても多くの反応やお問い合わせも頂きました。取材もして頂きました。
記事にもありますが、この取り組みは、自分にとってはつくり手としての「リハビリ」みたいな趣旨もあったので、こうしてサービスインして、反響を得られたことは本当に嬉しい出来事でした。数年間、会社の経営やコンサルタント的なお仕事に時間を使う中、つくり手としての自信をかなり失っていたのですが、とても良い形でつくることの楽しみを思い出すことができました。
ちゃんと数えていないんですが、毎日使ってくださる方から、たまに思い出したように使ってくださる方まで、招待制にも関わらずとても多くのユーザーさんご利用を頂いています。それだけではなくて、この半年以上、飽きずに使い続けて頂いていることが本当にありがたくて、日々、慢性的に報われ続けています。
そんなわけで、stateの半年を振り返るのがこの記事の趣旨ですが、つくり手として得られたものはものすごく多くて、恐らくいろんなサービスをつくる皆様にも参考になりそうな経験になったのではないかと思います。たくさん良いことはあったのですが、整理すると3つくらいに大別される気づきがありました。気づきというか、始める前に立てていた仮説が実証できた、みたいなところもあります。
それら3つを挙げながら、ここまでstateにどんなアップデートが行われ、どのように運用されてきたかを書き連ねてみます。超長いです。すみません。
運用型の「作品」をつくる、ということ
そもそも私は、今でも皆無ではないけど、2000年代とかには隆盛を誇っていた、リッチウェブサイト広告コンテンツの制作・開発、みたいな領域のお仕事をたくさんさせて頂いていました。
単発のキャンペーンサイトだったり、サイトじゃないにしてもイベントでの体験装置みたいなものだったり、基本的に関わってきたものは短期でガッと開発して、短期でガッと終わってしまう傾向がありました。
大きな話題になるものをつくったことも何度もありますが、デジタルコンテンツというものはウェブサイトやアプリに限らず、アーカイブすることがとても難しいものです。再生環境も時代に応じて変わっていきます。2000年代だと、まだadobe flashでつくられたウェブサイトが全盛で、私も様々なコンテンツやサービスをつくったものですが、flashの再生環境は無くなってしまい、当時と同じものを再生することはできなくなってしまいました。
当時コンテンツを公開していたドメインも、更新を忘れていたらいつの間にか業者に取られていて別のものが公開されていたりします。これが映像とかであればソフトウェアのバージョンなどの再生環境に左右されづらいので、時が経っても同じように鑑賞可能です。だから上記のドメイン期限切れの問題などを揶揄されるようなこともありました。
しかし、作品というのは、アーカイブされていようがいまいが、一度鑑賞された時点で作品としての区切りは迎えるのだと思います。
例えば、ケミカル・ブラザーズの「Star Guitar」のミュージックビデオは歴史的な名作と言われていますし、歴史的な名作だと思います。ただ、単一の作品としては一つのミュージックビデオに過ぎないですし、初めて「Star Guitar」に触れた時の衝撃みたいなものは、初めて「Star Guitar」に触れた時にしか得られないわけです。映像は何度も観ることができても、その衝撃はアーカイブできません。別に初回鑑賞至上主義みたいなことを言いたいわけではなくて、「鑑賞」というものは、鑑賞者が何を感じたか、みたいなものとセットなわけで、それはどのみち完全にはアーカイブできないですよね、ということです。
もっとわかりやすく言うと、私は旅先であんまり風景写真を撮らない人間なのですが、「ここでいくら写真撮っても今感じていることはアーカイブできないだろう」というのはあります。家族と写真撮ったりはします。
で、残念ながらデジタル技術でつくられたウェブサイトや体験展示物は、再生環境の変化とともに再生不能となります。アーカイブ性が低いです。これはもうただただ残念ですが、そういうものをつくっているのだから仕方がない部分があります。どのようにそういうものをアーカイブするか、ということに取り組んでも良いのですが、いまのところそういう気分でもありません。そこに対して責任があるのではないか、と言われても、少なくとも、つくる段階では責任については考えていません。
私たちデジタル技術創作物のつくり手は、いまのところ、そういう儚さと付き合っていかなくてはならないのです。大変なんですよ。誰でもいつでも鑑賞できる作品みたいのがないから、常に、実績が風化して、何をやってきた人なのかよくわからない人として人前に出なくてはならなくなりますから。アーカイブどころか、何かやり続けて存在をドヤらないと自分の存在すら忘れられてしまいます。
それはさておき、有史以来と言うと大袈裟なのかもしれないのですが、「作品」というのは、単体ではずっと刹那的な鑑賞対象であり続けて来たように思います。
stateは、自分の中で明確に、サービスインを目標としたプロジェクトではなくて、設計段階から、使ってくださるユーザーの皆様の反応や意見を取り入れて変化していくものとしてイメージしていました。もちろん、誰も使ってくれなかったらそれまでだったんですが、幸いにも結構な数の皆様に使って頂ける感じにはなったので、随時、臨機応変に改善を続けています。改善内容の詳細は次項に譲りますが、stateを私の「作品」とするならば、運用し続けることで永遠に完成しない作品、という考え方でつくっています。
これは、他のソーシャルメディアプラットフォームなどもそうですし、ソシャゲなんかもそうですが、インターネットに依拠したサービスをつくる上では、当たり前のように行われていることですし、ある種、サービスを成功させる上で必須となる考え方です。それをしないとユーザーは定着してくれませんし、増えてくれません。いわゆる、「PDCA回す」っていうやつです。
お仕事でサービスづくりやプロダクトづくりをサポートさせて頂くときもそうですし、体験装置をつくるような場合でもそうなんですけど、サービスインとかローンチのタイミングで話題を取ることに力と費用を注ぎすぎて、その後の改善を重ねる体力がなくてサービスとしては続かない、みたいなことが往々にしてあります。そういったときに、そういう領域のコンサルタントとして、「丁寧に運用しないとうまくいかないですよー」というのを常々お伝えしてきたんですが、それがそこまでうまく行った自分の事例を持っていなかったので、説得力に欠けていました。
いわば「言ってるだけの人」と化していたのですが、stateを改善し続けていくことは、言ってるだけではない、実証実験済の知見になっていくところがあって、それはとても価値のある効果でした。
ちなみに、運用型というか、鑑賞者(利用者)とのコミュニケーションの中で変化していく芸術形態の1つに、ジャズミュージックがあるように思います。ジャズミュージックは、他の演者や聴衆とのコミュニケーションによって柔軟に変化する音楽なので、私はstateをジャズミュージックのようなものであると考えています。
当初、私はこのプロジェクトを、アート作品のようなものと位置付けて始めて、では、アートとしてこれがどう位置づけられるのかを知りたくて、あんまり興味がないアート業界の文脈を追いかけてみたりしました。結果、stateのようなものをアートとして仲間に入れてくれるような空気は特に無さそうだなーという感想を持ってしまったのですが、stateが世の中に存在していないコミュニケーションと空気感の提案である限り、誰がなんと言おうとアートなのである、と考えています。今では、作品作品しているかっこいい映像作品とかに対して、これも作品である、と言い切る自信がつきました。
ちなみに、「Star Guitar」について触れましたが、あれは決して単体のミュージックビデオとしてすごいだけではなくて、その後に文化をつくったものだから、破格の意味を持つのであると思っていて、そのへんのことについてもこの2年くらいですごくいろいろ悩んで考えたので、そのうちどこかに書くんだと思います。
自分で自分の憲法を守って運用する意義
次の項目も、前述の「運用・改善」=「PDCA回す」と同じ話にはなるんですが、もうちょい、こういうサービスを運用する上でのビジネス的な構造の話です。
誰かが何か新しいサービスをつくって成長させていくとなると、多くの場合外部から資金を調達してそれを原資にして前に進めていくことが多い中、stateは一切資金調達などは受けていません。強いて言えば、私が所属しているBASSDRUMという会社・団体の勤務時間の一部を使って運用しているので、BASSDRUMには何らかのメリットを返す必要があるのですが、その他、どこに対しても何も利害関係を持っていません。
ゆえに、投資家からの圧力、みたいなものもないですし、お金が絡んでいないぶん、資本主義のシステムの中に取り込まれる必要がありません。たとえば、そういう新しげなサービスにお金を出している人は、お金を出しているサービスにマネタイズをしてもらって回収したい、というのは当たり前の話ですが、そういうことになるとこのサービスでやりたかったことができなくなってしまうので、投資みたいなものは一切受けてきませんでした。
これは非常に重要な判断だったと思っています。たとえば、起業してスタートアップでなんかやる、と言っても、投資を入れている限り、運用上何らかの判断をする場合に投資家の意向は無視できないわけで、本当の意味で「自分で全部コントロールしている」という状況にはしづらいです。
ただ、stateは、無理やりではありますが、全部一人で運用するという判断をしているがゆえに、運用上の取捨選択をすべて自分で決めることができるという状況にあります。
たとえば、stateでは写真の「映え」で競う状況をつくりたくないがゆえに、写真の投稿を横3:縦1という横長の比率でしか行うことができないようにしています。たまにユーザーから「まともな比率で写真を投稿できるようにして欲しい」という要望が出てきますし、実際、まともな比率で写真を投稿できたほうがユーザーの投稿も増えるだろうとは思います。サービスの成長とか将来的な収益性とかを考えたら、写真の比率を変更するべきなのですが、体外的な利害関係が皆無だと、そういうときに屈託なく、写真の比率は横3:縦1で据え置き、という判断をすることが可能です。
「映え」で競いたくなってしまうような状況をつくるのは、stateのコンセプトという名の「憲法」に反しますし、実際それがもたらしている平和な状況だからこそstateを楽しんでくれている人もいるはずです。
そういった形で、完全にインディペンデントであることによって、ラーメン屋の頑固親父的に、こだわるべきところにこだわることができるのです。
しかし、そんなこんなで、タイミングに応じて、また、ユーザーの要請に応じて、この半年で様々なアップデートを行ってきました。その中でも、「サービスインして人に来てもらわないと絶対わからなかった」=「やってみないとわからなかった」点について書いていきます。
stateがサービスインして、まず最初に気づかされたのが、フォローしていない人も含む全stateユーザーの投稿が並ぶ「最新(全体)」タイムラインの重要性でした。
TwitterやThreadだと、知らないユーザーの投稿が、自分のタイムラインに紛れ込んでくることはストレス要因になりがちでした。Twitterなんかだと、そういうアルゴリズムにすることによってユーザーの利用率は上がっていたらしいですが、それが大きな落とし穴だと思っていて、利用率と、居場所としてのソーシャルメディアの快適性は必ずしもリンクしないと思っていました。
ゆえに、stateでは、基本的にフォローした人の投稿だけがタイムラインに出てきて、フォロー外のユーザーの投稿が表示される最新(全体)タイムラインは、あくまで副次的に、フォローする相手を見つけるための空間くらいの位置づけで設置していました。
ところが、stateにおいては誤算が生じました。これがこういうサービスを運用していて極めて面白いことの1つなんですが、「実際にユーザーを入れて活性化してみないとわからない」ことがやたら多いのです。
stateでは、システム的に、人に対してドヤったり、何らかの主張をすることが無意味化されています。そんなことをしても特に報われない設計になっています。
そうすると、当然の帰結ですが、そこに投稿される内容は良い意味でどうでも良い、圧の弱い平和なものばかりになりがちです。実際そういう状況をつくることができました。しかし、そうなったときに、最新(全体)タイムラインに並んでいる「知らない人たちの投稿」が非常にちょうど良い存在感をつくり出し始めたのです。
言ってみれば、街中で雑踏の中に身を置いているような感覚です。自分とは関係がない知らない人たちが自分とは関係のない何かについて投稿しているんだけど、それによって、孤独感が緩和されるというか、程よく人間社会の中に存在できるというか、そういう状態が生まれ始めました。
数年前から、YouTubeで作業用のlo-fi hip-hopのチャネルが流行していますが、こういったlo-fi hip-hopのライブストリーミングのチャット欄には、ほぼ似たような「雑踏感」がつくられていて、深夜なりに勉強したり作業したりしている人たちにとって、「世界のどこかに同じように作業している人がいる」というアンビエントな安心感をもたらしています。
それと同じような状況がたまたま、stateの全体タイムラインに生まれていたのです。これは、有志によるテスト運用のときもわかりませんでした。stateの開始段階では比較的軽視していた全体タイムラインは、サービスにとって重要な場所になっていきました。stateの運用は、この全体タイムラインを中心に展開することになりました。
上述の「雑踏感」をもっと良い雑踏感にするためにどうすべきかを考えたときに、指摘を受けたのが、「知らない人たちのアイコンの主張が強いので、ソーシャルネットワークはつらい」という、stateのみならず一般的なソーシャルネットワークについての意見でした。
全体タイムラインには知らない人のアイコンが並んでいます。ただ、普段現実の雑踏の中では他者の存在は感じながらも、それぞれの人の顔なんて見ていません。知らない人のアイコンは心地よい雑踏感づくりにとってノイズになるのではないかと考えました。
そこで実装したのが「猫モード」です。アカウントの設定画面から「猫モード」をオンにすることで、全体タイムラインに並ぶ知らないユーザーのアイコンを猫のイラストにしてしまう、という機能です。
そこそこ面倒な実装ではあったのですが、これはやってみるととてもちょうど良い心地よさをもたらす機能となりました。そして、猫アイコンの誰かをフォローすると本当のアイコンが表示されるようになる、という流れです。
「ちいかわ」における、顔が描かれていないモブキャラが、仲良くなると脱モブして顔がわかる、みたいなシステムも参考になりました。
他にも、この全体タイムラインを中心とした改善はいろいろ仕込んでいます。今後英語圏や中国語圏などでもユーザーを広げていきたいのですが、多言語が渾然一体になると全体タイムラインが混沌としてしまう可能性があるので、投稿された言語の判定なども入れて、言語ごとのタイムラインを切り替えられるようにしました。これなどは、今後日本国外のユーザーが増えることで真価が問われていくような気がします。
とはいえ、今後多言語化が進んだときに、言語によってコミュニティの分断が進むのもちょっと違うなーと思うので、英語話者のテスターのアドバイスも受けて、自動翻訳機能のようなものも裏では準備しています。このあたりは、様子を見ながら搭載をしていきます。
とにかく、この全体タイムラインの「雑踏化」がstateにとって非常にありがたい誤算でした。今後も、よりちょうど良い雑踏を実現するために改善を重ねていくことになります。
もちろんこれ以外にも、読み込みの高速化であるとか、データの軽量化であるとか、基本的な手入れは数え切れないほど行っています。
サービスイン当初、実装が難しくて(具体的にはCloud Functionsの上でFirebaseのCloud Messagingをコントロールするのにすごい苦労していました)、まともに実装されていなかったプッシュ通知回りも整備しました。このへんは必要に即して行ったアップデートではあるんですけど、プログラマー・エンジニアとして「動いた!」感がすごく満たされたエリアで、いじっていて楽しかったです。
そういったものの優先順位などについての判断も自分だけでやっていける、というのはstateのような「思想を仕組みで表現する」ようなプロジェクトにおいてはとても重要なことであるように思います。
ある種、イーロン・マスクもイーロン・マスクなりに、自分の思うように動かせる仕組みを手に入れて、思想を仕組みで表現しようとした先に今のような状況があって、やっていることはあんまり変わらない可能性があります。
招待制がもたらした効果と継続性
ここまでに書いた、運用やビジネス的な問題と全く無関係なわけではないのですが、また別に、自分としてとても手応えを感じたというか、うまくいったなー、というか、仮説を検証できたなーと感じているのが、招待制での運用です。
stateをサービスインする前、概ね設計しているくらいの頃に出てきたのがBlueskyとT2でした(T2もう終わってた・・・)。両方ともX / Twitterの代替プラットフォームとしてリリースされたものだったわけですが、基本機能は実はあんまり本来のTwitterと違うものではありませんでした。ツイートして、Likeして、リツイートして拡散して、フォローして、みたいな仕組みは概ね変わりません。BlueskyもT2も変わりません。
ところが、BlueskyとT2では、漂っている空気感がかなり違ったのです。1年くらい前のBlueskyは、人があんまり相互に干渉しない、殺伐としていない優しいコミュニティ、みたいな感じ。そんなに他者に絡んでいかない感じがあったかと思います。対してT2は、加入するとすぐに「T2へようこそ!」みたいな感じで積極的にコミュニティをつくりたい人が関与してくる感じ、活発で性善的なコミュニティ、みたいな感じでした。ゆえに、BlueskyとT2は、仕組みがだいたい同じなのに、明らかに違うサービスになっていました。これは、さらに後に登場したThreadsも同じです。BlueskyとThreadsは、似ているけど違うサービスです。
何でシステムがだいたい同じなのに違ってしまうのかという点について、stateをつくっていた私は悩みました。悩みつつ、いろんなサービスのあり様を見てきた人ではあるので、仮説は持っていました。
その仮説とは、「初期ユーザーとしてどういう人たちを集めるかでサービスは変わる」ということです。
Blueskyの空気感=サービスのキャラクターをつくったのはBlueskyの初期ユーザー、T2の空気感=サービスのキャラクターをつくったのはT2の初期ユーザー、ということです。
Threadsの初期ユーザーは、instagramのユーザーがそのままスライドした層とX / Twitterでのフラストレーションをリセットしたい層のミックスなのではないかと思いますが、そういう意味では非常にinstagramに似た空気がフワッと広がった感じがしました。
stateは、様々な理由によって招待制でスタートしたわけですが、基本的に、冒頭に挙げたサービスイン時の説明文を読んで共感して頂いた方々に初期ユーザーになって頂くようなコミュニケーションで進めていきました。自分の周囲の、こういうものに共感してくれそうな方々、文章を読んでDMをお送りいただいた方々、そしてその方々に限定的に招待コードを配布し、「stateが好きそうな人」に再配布してもらう、という流れです。
半年が経過して、stateには、逆説的ですが、とてもstateらしいというか、居心地の良さを共有できる素晴らしい初期ユーザーに集まっていただくことができたように思います。しかし、その「stateらしさ」は、集まってくださった皆さまが一緒につくり出したものでもあります。鶏が先か卵が先か、です。
ある意味、stateの「空気」を安定させるための初期ユーザーとの関係づくり、みたいなものは半年を経てできてきたかなーと考えています。こうなると、stateはなかなかそう簡単にはstate以外のものにはなりづらいのではなかろうかと思います。
もう1つ、招待制を採用した大きな理由があって、それは経済的な理由です。stateは、私が個人で設計し、構築し、運用しているサービスであるのもあり、徹底して金銭的なコストがかからないように構築されています。さしあたり、全然運営費がかかっていません。もちろんこれは、長年こういうサービスの構築をお手伝いしてきた中で培った知識や経験もあって実現できている部分があります。
というか、運用における金銭コストが高いサービスって、企業の新しいサービスでもスタートアップの基幹サービスでもなんでも、普通に、運用していて息切れしてしまうのです。本気で息の長いサービス運用を目指すとなると、運用コストはとても重要な要素になってきます。
ゆえに、招待制を採用してサーバコストなどが急に爆上がりしないようにユーザー数の急増を抑えています。Gmailの初期や、最近だとClubhouseなんかがそういう手法を取っていましたが、わざわざ招待制にすることで新しいサービスへの渇望感をつくる、みたいなやり方はあるんですけど、stateの場合は単純にいきなりすごい流行ると個人で費用が賄えない状態になるリスクを考えました。たくさんの方々に招待コードのご要望を頂いたんですが、なかなかご期待に沿えず申し訳ございませんでした。
しかしまあ、これも良い判断ではあったのではないかと思います。
stateと同じ時期に、「DYSTOPIA」っていう、ChatGPTベースでネガティブなワードをポジティブに変換するようなサービスがリリースされて、巷では、stateの5000倍くらい話題になっていてテレビ番組とかでも取り上げられていたように思うのですが、ユーザー数絞ってないし、いきなりユーザー数増えるとChatGPTの費用がえらいことになってしまうでしょうし、続けるの大変なんじゃないかなーと思ってたら、やっぱりクラウドファンディングで運用費を募って失敗したりしていました。まだサ終とかではなく、運用はされているようには思うのですが、きっと、投資なりを入れないと続けるのは大変なんだろうなーと見受けられます(違ってたらすみません・・・)。
stateはそういう意味では前述の通り、気楽なもので、誰も雇わず自分だけで設計して自分でコードを書いていて自分でデータベースを管理しています。これまで通りゆっくり改善していく前提であれば投資を入れないといけないとか、お金を集めないといけない、とかそういうことはありませんし、前述のように、あまり外から干渉されずに健康に運用していくうえでは、現状のようなユーザー数のコントロールは功を奏しているのではないかと思っています。
招待コードの一般配布開始
以上に挙げたもの以外にも、stateを運用してみて気づいたことや、血肉になったことはいろいろあります。これからも同じようなノリで改善を続けていきたいと思っています。こういうサービス運用に「完成」というのは無いわけなので、継続的に、居心地の良い状況を保持していければと思います。
そして、前述の通り、サービスにとって極めて重要な「初期の空気感」はかなり固まってきたのではないかなと考えていますし、全体のシステムも安定してきたので、このタイミングで、既存ユーザーに対して随時発行していた招待コードを、ウェブサイトからリクエストしてくださった方に順番に配布していく形にしました。これにより、より多くの方に、順番にではありますが、stateを使って頂けることになります。ぜひ、下記のURLから招待コードをリクエストしてください。順番待ちの人数によってはお時間を頂くことにもなりますが、そのうち招待コードがメールに届きますので、気長にお待ち下さい。
既存のユーザーの皆さまへの招待コード発行は停止しませんが、頻度は今までより下げることになります(既に下げています)。
最後に、こんな、ニッチで地味なサービスをいつもご利用頂いているユーザーの皆様には、感謝以外何もなく、皆様のことが本当に大好きです。一緒にstateをつくってくださって、本当にありがとうございます。
自分にとってこのサービスはとても大事な作品であり、盆栽のように愛でるものでもあり、理想の居場所でもあります。長年いろんなものをつくってきましたが、こういった類の歓びを得ることはあまりありませんでした。ほそぼそとでも文化として残していけると良いなあと思いつつ、さすがにずっとstateの運用ばっかりやってると飽きるので、徐々に他のものづくりもやっていけると良いなあと思っています(業務ではいろいろつくっているんですが、空いている時間はstateに使ってしまっているので)。
そんなわけで、長いご報告になってしまいましたが、stateはまだまだ続けていきます。引き続き、ご利用を頂けるととても報われます。何卒よろしくお願い申し上げます。