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「物語の技術」から「技術の物語」へ(FEASIBILITY 2 開催)

今年は2021年だ。2021年って言ったら、早いもので2011年の10年後ということになる。よく、ドラマや映画や小説なんかでも「そして10年後・・・」みたいな時間経過の演出が入ることがある。5年とかのこともあるかもしれないが、10年後というのはやっぱりちょうど良い長さのような気がする。物語の中に10年の時間経過を突っ込むとどういう効果があるのかというと、登場人物が成長していたり、環境が変わっていたり、結婚して子供ができてたり、既に死んでたり、本来10年かけてゆっくり進行すべき変化を一瞬で起こせるので、物語に大きなアクセントをつくることができるし、読者や視聴者にその間の、その変化をもたらした出来事を想像させる「行間」をつくることができる。

で、今は2011年の「そして10年後・・・」だ。言わずもがな、多くの日本人にとって2011年を代表する出来事は3月11日の大震災ということになる。そして10年後、世界・日本はパンデミックに見舞われ、復興五輪を謳った東京オリンピックが開催決定され、延期になって、どうなるかわからない。相変わらず森元首相が失言して顰蹙を買っている。前の天皇陛下は退位して、年号が令和になってる。プレステ5がやっと発売されて、スター・ウォーズはディズニーに売却されて、エピソード7〜9が、なんとも微妙な感じで公開された。リセットさんがリストラされたどうぶつの森の最新作が世界を席巻する一方で、スーパーの職員だったヒカキンはYouTubeだけで食っている。そして10年後、世の中は変わっていないようで結構変わった。

お前はどうなんだ、という話でいうと、私にとっては今年は何の10年後かというと、実は、前職? 前前職? のPARTYという会社を起業して10年後だ。2月って言ったら立ち上げの準備中で、楽しくって仕方がない時期だったんじゃないだろうか。立ち上げの計画そのものは2010年から進んでいて、2010年末くらいにイメージソースをフルタイムじゃなくなって、川村さんと「映し鏡」つくったりしてPARTYのスタートに向けて歩みを進めていた。PARTYの最初のプロジェクトになる「ToyToyota」なんかはもう進んでいて、豊田市にプレゼンに行ったりしていた。制作会社からクリエイティブブティック的なもののクリエイティブディレクターとして、新しいスタートを切ろうとしていたタイミングだった。オフィス探しなんかも始まっていて、とかくネガティブに走りがちな私の眼前にはバラ色の未来のようなものが広がっていた。

そして10年後。

私はニューヨークにいて、希望の塊のような存在だったPARTYはとっくに辞めていて、別の、会社というかコミュニティというか営利団体を運営している。クリエイティブディレクターみたいなことはたまにやるけど、主たる仕事はもともとやっていたテクニカルディレクターに戻している。当時一人っ子だった息子は、3人兄妹の長兄になったが、リモートラーニングをさぼったりして先生に怒られている。当然私は、一児の父から三児の父にアップグレードしている。つくったプロダクトが話題になって、アメリカのテレビに出た横で、テレビリポーターに街で取材をされた後にその動画が人種差別問題で炎上して、(被害者として)テレビに出たりした。アメリカ史上最大の死者を出したラスベガスの銃撃事件にニアミスしたり、世界を襲った新型ウィルスにいち早く感染したり、フォレストガンプみたいな激動のアメリカ生活を送った。いまこの瞬間は、ちょうど2011年くらいに初めてお会いした加藤さんが立ち上げたnoteという文章公開サービスに文章を書いて公開しようとしている。10年という歳月は、ドラマや小説の劇中人物ではない私にも、これだけの変化をもたらし、10年前の点と10年後の点を線で結ぶことで、なんらかの物語ができてしまう。

世の中には物語があふれている。10年前のPARTYの立ち上げ時のキャッチフレーズは「物語技術の研究所」だった。ここにはいろんな意味合いがあるのだが、まず、PARTYは広告畑から出た人たちの集まりだったので、自分たちがやってきた広告というものを因数分解すると、それは「物語の技術」みたいなことになる。訴求すべき商品に物語を与えて、物語という器を通して共感をつくる。そういうクリエイティブの技術だ。じゃあその因数分解した「物語の技術」を広告じゃない領域にも活用していこう、研究所として新しい物語を開発していくぞ、という感じだったかなと思う。

10年前に日経に載ってた記事。なつかしい。

10年前は、自分たちにとって大切な手段である「物語」というものを、とても尊いものだと思っていて、世の中をなめらかにするのは物語だと信じ込んでいたところもあった。しかし、この10年間は、ソーシャルメディアを中心として生じてしまった「物語のひずみ」が世界に混乱をもたらしてしまった10年間でもあったと思うし、個人的には、物語というものに幻滅してしまった10年だった。物語というものの邪悪な威力を知ってしまった部分もあったかと思う。お付き合いのある僧侶の松本紹圭さんが、以前京都駅のマクドナルドでしゃべっていたとき、「宗教は物語だ」「物語はヒエラルキーをつくる」「物語から解放されることが悟りだ」なんていうことを言っていて、「うわー言語化されちゃったよ」などと思って感銘を受けたものだ。

2021年は物語という厄介なものを取り扱って10年、ということにもなる。「物語の技術」から10年。いまの私は「技術の物語」を仕事にしているともいえる。

10年後の私、つまり今の私は悟りを開いていないので、まだまだ物語を摂取して、物語に振り回されて生きている。毎朝、アメリカで日本のテレビ番組を放送するテレビジャパンで「おちょやん」を見ては、時折泣かされたりしているし、照ノ富士の序二段陥落からの復活劇だって、応援する側の我々は事実を物語に乗せて理解するから感動もするしドキドキもする。

昨年の私がすっかりやられてしまったのは、Amazon Primeで配信されていた、1人の独身女性を、職業、年齢、容姿、性格もさまざまな17人の男性が奪い合う婚活サバイバル、「バチェロレッテ」だ。こういう、恋愛リアリティショーのようなものは、当然ながら、登場人物の行動を物語化して描いていくもので、そこで起こっている事象を増幅したり、見る人の感情を誘導したりするもので、ゆえに誹謗中傷を生んだりもして問題になったりするし、悪趣味だなんて言う人もいる。夢中になって「わー」だの「きゃー」だの「はんのきざわ・・・!」だの言いながら一喜一憂するところを、妻に「大丈夫かこいつ」みたいな目で見られたりもしたが、「バチェロレッテ」は、オリジナルである一人の男性をたくさんの女性が奪い合う「バチェラー」シリーズよりも、複雑で文学的で、私は会社のslackに長文の感想を投稿する程度にハマっていた。

https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B08K9GY2MG/ref=atv_dp_share_r_tw_ce782e138ecf4

その「劇中」で、物語をとても美しくて複雑なものにする立役者だった画家の杉田陽平さんに、ダメ元で、私が運営しているBASSDRUMによる「行列ができる技術実装相談所」的な技術相談番組「FEASIBILITY」にゲストとして出ては頂けないかと思ったのは、もちろん、こんなハードコアな技術番組にあの杉ちゃんが、という蹴手繰り的なキャスティングは狙いになかったわけではないが、劇中で時折杉田さんが垣間見せる「物事や世界をちょっと違う方向から捉える」というアプローチを、我々デジタル屋がどう料理するのか、というのをとても見てみたかったからだ。

私たち、「技術監督の集まり」であるBASSDRUMが常に、仕事の中で行っている、さまざまな方々のアイデアに対して「それって技術的にどうやって実現するの?」を提供する仕事、すなわち「フィージビリティ・コンサルティング」を番組にしたのがこの「FEASIBILITY」。今回が2回目の開催だ。

なんで、この「フィージビリティ・コンサルティング」が番組になるのかというと、それは、この課題解決のプロセスが「技術の物語」だからだ。抽象的だったり、原始的だったりする「原石=アイデア」を技術者が実現に向けて磨いていく。それが「技術の物語」になるから、たぶん見ていてもやっていても面白い。手前味噌だけど、何しろやっている自分たちが一番楽しみにしているのがこの番組だ。前回の「FEASIBILITY」の紹介文でも、このへんのプロセスについてのいろいろを書かせていただいた。

テクニカルディレクターという職業の価値を広報して、向上させていくのは、私たちBASSDRUMの大事な仕事だ。そして、私たち技術者の、外から見るととっつきにくい仕事を、より深くいろんな人に理解してもらうためには、結局「物語」だったりする。

視聴者に、とても美して複雑な物語を紡いで見せてくれた杉田さんと、回答者であるテクニカルディレクターたちは、どんな技術の物語をつくっていくのか。

今回のゲストは、私からお声がけをしたので言及させて頂いてしまった画家・現代美術家の杉田陽平さん

言わずと知れた日本のインターネットの圧倒的良心、デイリーポータルZの編集長、林雄司さん

コード・フォー・ジャパンなどを通して、地域課題をITで解決し続けてきた政策起業家の関治之さん

のお三方をゲストにお迎えしての「FEASIBILITY」来週2/24(水)の19:00〜でYouTube LiveとFacebook Liveで開催。10年前の自分が面白がってくれるような物語をお届けできると良いなと思いつつ、多くの方のお越しをお待ちしております。

10年前の話とか、別に書かなくても良かったような気がしてきた。