見出し画像

BASSDRUMにコミュニティ・マネージャーが加入しました

BASSDRUMは、2018年2月に開業したのですが、最初は私と村上悠馬さんの2人でリーンスタートをしつつ、コミュニティも含めて本格稼働したのは2018年の9月でした。BASSDRUMは最初から今までずっと標榜するものは「テクニカルディレクター・コレクティブ」、つまりテクニカルディレクターの集まり、ということで、テクニカルディレクターばかりが集まる会社であり、コミュニティでした。

テクニカルディレクターというのはテクニカルディレクションしかできないわけで、もちろん実際にはWhateverの富永さんや小野さん、コンサルタントの東海さんを始め、いろんな方々の助力を得て会社・コミュニティ・組織として成立しています。いろいろな方のお世話になっています。とはいえ、コミュニティに属している人はここまですべて何かしらテクニカルな人たちでしたし、BASSDRUMの運営主体は私も含めたテクニカルディレクターでした。

一方で、BASSDRUMには大きなミッションがあります。それは、「テクニカルディレクター」という職業の認知を社会に広げること。テクニカルというものはもはや多岐にわたって展開している世界です。フロントエンド実装もあればバックエンドシステムもあります。ハードウェアもあればブロックチェーンとかVRみたいな各論的領域もあります。そういう意味で、私は「テクニカルディレクター」という職業を医者や弁護士になぞらえることが多いです。

小児科や産婦人科、皮膚科や泌尿器科まで分かれている医者の世界、民事に刑事、著作権など多岐に渡る弁護士の世界。そして医者も弁護士も、社会でいろんなことを営む上で必要な職業です。がゆえに、社会的な認知もされているし地位も高い。

私は、テクニカルディレクターも今の世の中同じではないかと考えて、BASSDRUMという団体を始めたところがあります。

今の世の中、何をやるにしてもテクニカルを外すことはできません。医者や弁護士が社会で必要とされるように、テクニカルディレクターも世の中に必要です。そういう認識を広げて、テクニカルディレクターを憧れの職業にして増やす。そうすると社会に適切なテクノロジーの使い方、ものの作り方が広がるから世の中が良くなるはずだ。それがBASSDRUMの1つのビジョンです。

「認識を広げる」がミッションの1つであるがゆえに、私たちは常に、「BASSDRUMは半分PR会社だ」と考えてそのように動いてきました。声を出して表現していかないと、人の認識はなかなか変わらないからです。そういう考えから、この1年毎月テクニカルディレクターが集まるイベントをやり、一般公開のイベントもつくり、YouTubeではライブで番組をやり、noteを立ち上げて良い情報を提供し・・・みたいなことを1つ1つしっかりとやることにしました。そしてそれはある程度功を奏して、多くの優秀なテクニカルディレクターの方々が集まる、ある種他に類を見ないコミュニティをつくることはできた感があります。

コミュニティが大きくなり、活動が活発になるにつれて、私たちは1つのことに気づきました。それは、

クソ忙しい

ということです。

当然のことで、BASSDRUMのメンバーは皆プロのテクニカルディレクターです。各々が現場の作業や顧問先を抱え、日々実務に追われています。BASSDRUMにはテクニカルディレクターしかいないので、コミュニティのマネジメントやPR活動、営業活動に至るまで皆、テクニカルディレクションの実務の傍らで行ってきました。

テクニカルディレクター集団という考え方で進んできたBASSDRUMでしたが、テクニカルディレクターだけで運営していくことはすなわち、テクニカルディレクターがテクニカルディレクション以外のこともやらなくてはいけない、ということでもあったのです。予想できたはずのことですが、一同ボーッと生きてきたため、最近になってやっと気づきました。このままではやばい。コミュニティの運営のしわ寄せが実務に出てきてしまいかねない。

そんなわけで、BASSDRUMはこの9月1日、新たな期を迎えるにあたって、ついに人員の「テクニカルディレクター縛り」を諦めました

そして、大きくなりつつあるコミュニティのまとめ役・そしてBASSDRUMのPR担当として、磯崎智恵美さんがBASSDRUMに参加しています。

智恵美さんは、実は私清水や村上悠馬さんが在籍していた(株)イメージソースで同僚として働いていたのですが、当時からPRだけでなく、自社メディアでの記事執筆など、様々な発信活動を行っていました。日本語でも英語でも記事が書けるのです。

そしてその後、生まれ故郷の北海道に帰って取り組んでいたのが、今や北海道といえば、の代名詞の1つとなってしまった、「酒飲んだ後にパフェで〆る」風習である「シメパフェ」のPR担当業務でした。

智恵美さんは、シメパフェの伝道師としていろんなメディアに登場してススキノからシメパフェを布教してきました。

そんなススキノでのパフェ・エヴァンジェリストの日々を経て、数年ぶりに東京に戻り、今回BASSDRUMのコミュニティ・マネージャーとして、「テクニカルディレクター」の普及の旗手として活動して頂きます。シメパフェが北海道の風物詩になるまで普及させた智恵美さんの次の大仕事が、BASSDRUM及び「テクニカルディレクター」の普及とブランディング、そしてコミュニティのマネジメントです。

「半分PR会社」であるBASSDRUMのPR・コミュニティ担当として、新しい概念を一緒に広げていく仲間として智恵美さん以上に心強い人はいないわけなんですが、日頃からFacebookやTwitterでの発信を主に担当していた私清水などからすると、智恵美さんがBASSDRUMの活動を初めて数日目、阿吽の呼吸で先手を打って発信してくれる智恵美さんの仕事は既に革命的な変化をもたらしています。こ、これで、テクニカルディレクションをもっとできる・・・。

そんなわけで、9月になって革命が起こったBASSDRUM、そしてススキノからの刺客、コミュニティ・マネージャーの磯崎智恵美さんを引き続きよろしくおねがいします。

磯崎智恵美・プロフィール 

イギリス留学を経てデザイナーとして勤務した後、2006年に(株)イメージソースに入社。PR兼ライターとしてバイリンガルのものづくりマガジン「PingMag」を運営しながら、「Dazed & Confused」「Numero Tokyo」「映像作家100人」など様々なカルチャー誌や書籍に寄稿。2019年8月まで、クリプトン・フューチャー・メディアに所属しながら地元北海道でシメパフェ文化を推進する「札幌パフェ推進委員会」のプロデューサーを務める。

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!