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コラボレーションがわりと好き

多摩美の時から人の作品のテクニカルパートを担当するみたいなことをよくやっていた。テクニカルな要素を含んだ作品というのは、よほど作品の方に強さがないと、テクノロジーに影響を受けてしまうということがある。たとえば、魅力的な技術というものはあって、それを使うと面白さがぐっと増すわけだけど、それは技術の持つ力だったりすることが多くて、作品の印象は技術の印象に支配されてしまう。

それは本末転倒なので、作品をより良くするために技術をスパイスのようにきかせるなら、塩梅はとても重要。

fuwapica

2015年あたりから、八木澤優記と一緒にFuwa pica Projectなるものをやっていた。厳密にはもう少し前かな。

これが初代作品で、「ふわふわピカピカ」。八木澤の芸大の修了作品として作った。もともと、バルーン素材で光る彫刻を作っていたとのことで、そこからインタラクティブな要素をつけたいと相談された。空気で膨らんでるものだから、空気圧とか検知して調光したらいいんじゃないかと気軽にアドバイスしたわけだけど、これ、よくよく考えるとすげー面白そうと、こちらに火がついてしまった。

後日こちらから、「やろうよ」と声をかけ、秋葉原にパーツを買いに走った。若いときは時間が溢れていた。フリーランスだったけど。で、作った最初のバージョンはコストはあまりかけられない。当時LEDはLEDテープなんてなくて、砲弾型の青色LEDが一個150円とかしてた気がする。なので、断念。なんと白熱灯でシステムを組んだ。空気圧のセンシングは秋葉原に売っていたひずみゲージがついた空気圧計測用のパーツ。オペアンプで増幅してマイコンに入れる(マイコンはPIC)。マイコンの本に紹介されていた、交流のゼロクロス点からのカウントでオンオフ制御して調光回路作るというやり方で位相制御による明るさ制御。それを量産し、バルーンごとに明るさ制御した。

このプロジェクトはしつこく何年も続け、納品実績も多数、六本木ヒルズの展望階でクリスマスイベントにも採用された。

MONGOOSE STUDIO

このころ、毎年コラボしてた。

平原真との作品RGByシリーズ


鍋島久和とのTYPE TIME

これらの作品を一緒に作ったメンバーと共に、MONGOOSE STUDIOを作った。当時はよくわかってなかった気もするが、メディアアート的なスキルをベースにデザインとアートの中間のようなプロダクトを模索していた。当時の自分が自覚していた言葉でいうと、美術館とかアートのイベントで展示するよりも、家の中で個人に所有してもらうような形を理想として考えていた。展示で作品の前に滞在する僅かな時間よりも、毎日インテリアの一部として所有してもらうことで長いスパンで味わうような作品を模索したかったからだ。

あと、MONGOOSE STUDIOは、今で言うギルド方式。みんなフリーランスで活動しているひとで、一緒にそれぞれ作品を作る。自分がハブになっていくことで、それぞれと作った作品をMONGOOSE STUDIOの作品とし、手柄を共有する仕組みだ。今ほどバズって広まるような仕組みもなく、PRのスキルもなく、大きく名が売れることもなかったが、割と多くの作品を作っていた。

建築家の青木淳さんとMONGOOSE STUDIOのコラボ作品「ぼよよん」

21_21の骨展にて展示した「Galvanic Frame」

MONGOOSE STUDIOは、2005~2012年の7年ぐらい活動したことになるが、今思うと濃い時間を過ごした。

コラボレーションの醍醐味

自分一人で作品を作るのと比べると、他人と協業して何かを作るわけだから、作業としては大変になる。意見をすり合わせるために言葉を発したり絵を書いたり、試作をしたりしてコミュニケーションをとる。それによってお互いの納得度を高めて最終形に至るわけだが、一人でやる作品作りと比べて、コントロールは難しくなる。でもその分、思いがけないことが起こる面白さがある。思いがけずいい作品ができることも度々ある。自分一人ではやらないことにチャレンジすることになるので、それもとてもいい。おそらく作る側としては、その作る過程を楽しんでいるんだとおもう。一緒に作る人とのコミュニケーション。そして完成したあとの展示などでの評判を分かち合う。

これは実は仕事もそうだと思う。クライアントとの協業だったり、別の職能の人とのコラボだったりする。大きなプロジェクトだとチームを作って取り組む。その制作過程が結構楽しかったりする。

アートだけでは食えない

食える人もいると思うし、一気に駆け上っていく人もいると思うが、自分は学生の頃からいろいろ作ってきて、継続的にずっと作ってきたわけだけど、それだけでは食えない。ここで紹介した時間の大半はフリーランスで仕事をしていた。

・インタラクティブな展示物のテクニカルパート
・アートのテクニカルパート
・ソフトウェアの開発

若いし一人暮らしだったので、そんなに稼がなくても食えたので、割と自由に仕事はしてた。メディアアート系の展示などで、テクニカルパートを担当するということも度々あった。これは稼ぎはあまり大きくないけど、やりたいこととほぼイコールなので、楽しくやってた。それ以外だとインタラクティブな展示物がどんどん増えていくころなので、そういう展示の仕事はいろいろあった。その技術部分を担当するような仕事も多くやった。メディアアートで培った技術は、ほとんどそのまま仕事に活かせる。自分の場合はわりときっちり作品を作ってたので、クオリティも納品に耐えられるクオリティだったと思う。仕事ではチャレンジの幅はコントロールしないと破綻するが、今思うとかなりチャレンジングな仕事をしていた気がする。。

遠藤 拓己/ドミニク チェンの作品「TypeTrace」

このTypeTraceは、なかなかおもしろかった。遠藤さんはPhonethicaという作品でテクニカルパートの担い手を探しており、人づてに紹介され知り合った。


それをきっかけに、またなにかやろうと言う話になり、TypeTraceの原案のような話を聞いた。そこで、議論を深めつつまずはMacのアプリとしてタイピングした履歴がすべて記録され再生できるというものを作った。完成してすぐに、感想をTypeTraceで書きあって、それを読むという体験をした。これが実に面白く、相手の感情が間となって現れる。これは可能性があるということで、盛り上がり展示用に動くキーボードも作った。

あ、結局アート界隈の話をしてるな。。

とにかく、仕事でもプログラム書いたり基板作ったり。作品でもプログラム書いたり基板作ったりしてた。そんな日々。。

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