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0303「英語禁止令と母国語最強説」

久しぶりに悔しいなーというか、言おうと思ってたのに先に言われちゃったなあということがあり、文章に残しておこうと思う。何かっていうとこのニュース。「ロゼッタが全社員に英語禁止令」だ。

内容としては、ロゼッタ社のVR翻訳会話プラットフォームで会話すれば英語も中国語も使う必要がない。そもそも無理して母国語以外の言語使ってると伝わることも完全には伝わらなくなるんだから、そうなっちゃうくらいなら母国語使って自分のポテンシャルを100%発揮しようぜ、という話で、恐らくロゼッタ社が開発したプロダクトのPR的な活動でもある。

で、何が悔しいって、私も、自分が所属しているBASSDRUMという会社 / コミュニティ内で英語禁止というか母国語以外禁止にできないかなーと、結構前から思っていたのだ。

私はニューヨークに移住して7年以上経ち、それなりの期間英語圏で生活と仕事をしてきた。移住当初はこんな感じの記事も書いたものだが、今ではさすがに英語がしゃべれるかしゃべれないかで言ったらまあしゃべれるんだと思うし、英語の打ち合わせとかでもそんなに困らない(まだたまに困ることもある)。

自分だけなのか、英語話者あるあるなのかわからないが、英語の映画やドラマを日本語字幕で見ようとすると、耳から英語が入ってきちゃって、視覚と聴覚のズレが気持ち悪くて、結局落とし所として英語字幕で映画を見たりしている。さすがに7年もするとそのくらいにはなる。

しかし、それはある種、英語話者として最低限の部分をクリアしているよ、というだけなのであって、自分程度だととても難しいのが、情報以上の、味わい深い発言があんまりできない。母国語である日本語であれば当然、言い回しであったりとか、間のとり方であったりとか、何にも考えなくっても自分っぽい発言や会話が可能だ。英語でそれができるかっていうと、まあ全然できない。ピアノに例えると、母国語ならショパンのややこしい曲を緩急をつけて流麗な感じで演奏できるのに対して、英語だと、「ネコふんじゃった」を時折引っかかりながらどうにか弾いているようなものだ。

「ちくしょー。日本語で表現できたら、もっと自分のやっていることに興味を持ってもらえるのに。」みたいな歯がゆい状況に追い込まれたことなんて何度もあった。それでも一生懸命こちらに入ってきてくれる相手もいるし、親しい友人もできたが、英語でコミュニケーションしたことで損失した機会なんていうのはたくさんある。言葉の問題がなかったら仲良くなれた人たちはたくさんいるはずだ。

人間は、そもそも「ネコふんじゃった」よりもショパンの流麗な演奏を聴いていたいものだ。日本語話者としても、外国人の日本語を聴いていて、違和感を覚えたり、会話が弾まなかったりみたいなことは経験があると思うが、実はアメリカのネイティブ・イングリッシュ・スピーカーも負けず劣らず、外国人の英語に対してそういう違和感を持っている。

「あいつはたぶん母国語しゃべってたら相当に優秀なやつなんだろうけど、英語が変だから、バカっぽく見えちゃうよね」

みたいに思われてしまうことが、仕事の現場なんかでも非常に良くあるのは事実だし、実際問題そのへんの流れで思いっきり下に見られたことも結構ある。

一方で、ここ数年アメリカに暮らしていて肌で感じている風潮というのがあって、それは何かというと、「別に無理して英語しゃべらずに、母国語で思いっきりしゃべればいいじゃん」という風潮だ。これはすごく感じる。理解できない言語であっても、流麗なショパンを演奏している人のことは、なにかリスペクトしてしまう、という感じだ。

代表的なのは、アメリカで社会現象になってしまった「こんまり」こと片付けコンサルタントの近藤麻理恵さんだろう。こんまり氏は、大人気となったNetflixの番組の中で、日本語で話しまくる。日本語を駆使して、伝えるべきニュアンスを適切に表現していく。あれが、無理してひねりだした英語でのコミュニケーションだったら、番組を見る人は減っただろうし、あんな社会現象になどならなかったはずだ。

近所のフローズンヨーグルト屋さんに行けば普通にBTSとかBlackPinkが堂々と韓国語で歌っているわけだし、何なら絶対に韓国語を解さないであろうアフリカンアメリカンの店員さんがその音楽に合わせてノリノリでヨーグルトをカップによそっていたりする。

そんな感じで、「母国語で思いっきり表現して受け入れられる人たち」というのは増えている気がする。

元メガデスのギタリスト、マーティ・フリードマンさんは、今や、やたら日本語がうまい外国人タレントの一人だが、そのマーティさんが、「なぜBABYMETALはアメリカで受けたのか」について、ネイティブイングリッシュスピーカーとしてとても興味深いことを言っている。

彼らは日本語で歌い続けるべきだと思う。聴いた人は、日本語を知りたくなる。実際、あの子たちは何と歌っているのかと、しょっちゅう聞かれる。興味を持って日本語を勉強したいと思う人たちが出てくる。

たくさんの日本人アーティストが英語で歌ってアメリカ人にアピールしようとするけれど、うまくいかなかった。アメリカ人の悪いところは、少しでもなまりがあると拒否感を示すこと。日本では僕がちょっとなまりのある日本語で話したり、間違えたりするとキュートだと言われるのに。

でも、アメリカ人は、英国なまりでさえ、嫌がる人が多い。例外は、少年ナイフの歌のような、極端な “カタカナ英語”。面白くで、キュートだと思われる。それに、完ぺきな英語で歌ったとしても、今度は 米国の他の全ての歌手と競合することになるから、結局、個性がなくなってしまう。

日本語で歌うからこそ、好奇心も刺激するし、神秘性もある。 分からないほうが面白い。

これは、読んでハッとした部分がある。たぶん、本当にそういうことなのだ。母国語は私たちにとって、魅力的な武器なのだ。決して、気後れをもたらすべき十字架ではないのだ。

これが20年前だったら、言語の壁は自力で越えるしかなかった。むりくり英語でしゃべらなくては越えられるものも越えられなかっただろうし、いかに流麗なショパンでもわからないものはわからないから伝わらなかった。

しかし、私たちはいま、もしかしたら人類史上初めてくらいのレベルで、ちょっと頑張れば道具を使って言語の壁を越えることができてしまう。

言わずもがな翻訳エンジンだ。DeepLの翻訳なんて、もはやかなり正確になってきている。日本語で原稿を書いてDeepLで翻訳した後で、変なところだけちょっと手直しする、みたいなプロセスで、十分に実戦投入可能的な英文を得ることができてしまう。

まだまだ翻訳エンジンなんて誤訳することも多いし使えないよ、と言う方もいるかもしれないが、それも実は、人間側の努力で結構解決することができる。

この「自動翻訳大全」を読むとわかるが、通常の会話で省略してしまいがちな主語や目的語を省かないでしっかり書けば、機械による解釈の幅を絞ることができるので誤訳も最小限にできる。この本は、来たるべき自動翻訳次代に向けた「機械にやさしい言葉づかい」とは何なのかをわかりやすく教えてくれる。

「後で行きます」

みたいな文章を、「私は後であなたのところに行きます」とするだけで、機械は文章を正確に理解できるようになる。機械翻訳は、ほぼ実用可能なレベルに来ている、足りないと思うのならば、機械が私たちについてくるのを待つのではなくて、こちらから機械に歩み寄ればよいのだ。

私なんか、7年アメリカで暮らしても「ネコふんじゃった」なのだから、自分が所属しているBASSDRUMで一緒に働いている日本在住のメンバーが英語で流暢にしゃべれるようになって海外で業務展開できるようになるまで何十年かかるのか、その頃にはみんな爺さん婆さんだよ、という話だ。

だから、私たちが外国人と仕事をする上で必要なのは英語を流暢にしゃべれるようになることではなくて、「自動翻訳を完璧に使いこなせるようになる」ことだ。それさえできてしまえば、英語どころか、中国語でもスペイン語でも、世界中の人たちと自分の言葉でコミュニケーションができてしまう。

そんなような思いがかなり強くて、結構実験を重ねてきたところもある。

BASSDRUMには台湾人のメンバーであるamoもいて、中国語話者もいるし、中田さんみたいな英語のほうが自分を表現しやすいというストロング英語話者もいる。keitaさんなんかはブラジル出身だ。

そんな、非日本語話者同士で、「母国語以外使わない」というルールで会話をしてみたりもする。

そのときの強力な味方がMicrosoft Translatorの会話翻訳機能だ。いわゆるチャットルームみたいになっていて、入室時に自分の母国語を選択できる。あとは母国語で音声入力すると、各メンバーに各々の母国語に自動翻訳された言葉が配信される。これを使うと、日本語と中国語と英語とポルトガル語で同時に会話する、ということが可能になる。

実はポルトガル語だけ相当きつかったのだが、日本語と中国語と英語に関しては、十分意思疎通ができる精度で翻訳される。一応声を聴くためにzoomでお互いに接続はしておくが、お互いが言っていることは直接はわからない。

しかし、いつも英語でどうにかコミュニケーションをとっていて使われない各々の母国語は、なんというか、やっぱり流麗で美しいのだ。そしてそこからは、前述の、その人の話が醸し出す味わい深さが感じられる。

keitaさんのポルトガル語なんて、100%何を言ってるのかわからなかったが、言いようのないボサノヴァ感が心地よくて、ちょっとうっとりしてしまった。

そんな中、私の日本語も、きっと「かっこいい」なんて思われていたりしたのだろう。

BASSDRUMではいま、コミュニティに、国境を問わずもっといろんな人を巻き込むために自動翻訳の活用を広げていきたいと考えている。個人的にはニュースをもっとちゃんと理解したかったりとか、子供の学校の先生からかかってきた怒りの電話に対応したりとか、他のモチベーションはあるので英会話の練習はまだ毎日やってはいるけど。

で、本当はこのあたりの実証実験をもっとやった後に、「BASSDRUMでは英会話禁止」なんて宣言できたらかっこいいなーなんて思っていろいろ仕込んでいたら、冒頭に述べたように先にやられてしまった。と言いつつ、であるがゆえに非常に共感できるアプローチでもあり、応援したい動きでもあるので、後追いっぽくてかっこ悪いが、声を出してみた。もっと早く動けばよかった。

こんなアプローチで、世界中の同業者(テクニカルディレクター)と仲良くなって面白い仕事を共有していく、というのが、今年から来年にかけてやっていきたいことだったりする。

※BASSDRUMとテクニカルディレクターについてはこちら。


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